アマチュアとプロの違い、そもそもプロの定義とは?



こんにちは、TSです。
スポーツの世界でも将棋の世界でもビジネスの世界でも、大多数のアマチュアがいて、その上位にプロが存在すると言った構図が出来上がっています。
ではそのアマチュアとプロ、そこにはどんな違いがあるのでしょうか。
筆者が今まで見てきた多くの成功者やプロと思える方、そして筆者自身が体験して身をもって感じたことを踏まえながらその点について書いていこうと思います。
プロの定義とは?
近年ではプロ野球選手やプロの音楽家と言った馴染み深い言葉だけではなく、プロゲーマーやプロブロガー等、自称他称関係なしにプロと付く名前の職業が増えており、その境界が曖昧になってきているように感じられます。
プロについてネットで調べるだけでも
- 食っていけるだけの収益があればプロ、そうでなければアマ
- 仕事でやっているのがプロ、趣味でやっているのがアマ(逆説を唱える人もあり)
- 人の為に動くのがプロ、自分の為に動くのがアマ
等多くの議論が繰り広げられていました。
ただこれらはあくまで個々人の意見であり、色んな意見が飛び交っているのでどれが正しいとは偏に断定できません。
にもかかわらず、これがプロの定義だ!と各々の意見を正しい物だと断定している方が多くて驚きました。
改めて定義の意味を引いてみると、
定義(ていぎ)は、一般にコミュニケーションを円滑に行うために、ある言葉の正確な意味や用法について、人々の間で共通認識を抱くために行われる作業。一般的にそれは「○○とは・・・・・である」という言い換えの形で行われる。基本的に定義が決められる場合は1つである。これは、複数の場合、矛盾が生じるからである。
とあります。(wikipediaより)
要するに複数の意見がある時点でそれは定義とはいえないわけですよね。
それを都合の良いように自分で決めつけてこれがプロの定義だ!と意気揚々に掲げるのは少し違うのではないでしょうか。
したがって、筆者はプロの定義はこれだ!とは断定はしません。
あくまでも、こういう人が俗に言うプロに当てはまるんだろうな~、羨ましいからなってみたいなと個人的に思えた人の特徴を上げていこうと思います。

人を大切にできる人
筆者が考えるプロは漠然としてはいますが、この一つに限る考えます。
見知らぬ被災者の為に募金を出来る人も、お客さんの為にビジネスを提案できる人も、奥さんの為に身を削って働ける人もすべてが該当します。
ただその中でも、外から見ていて成功している、尊敬できると思える人は身近な人から優先的に大切にしているように感じました。
お世話になった大学の教授であれ、任天堂の元社長である岩田さんであれ、イクメンブロガーのイケハヤさんであれ該当しています。
その理由を書いていきます。
家族、友人を大事にできる
人は守るものがあってこそ輝けるものです。
大事な家族、友達、そういった方々を普段から大事にすることでいざ自分が困ったときにも手を差し伸べてくれますし、重大な決断の際にも良い方向に物事が移りやすくなります。
家族がいて、友人がいて支え合えるからこそ不安なく仕事ができ、自信をもって行動できます。
筆者も行き詰ったときに友人に相談して助けてもらったり、逆に相談に乗ることでその後のヒントになるような気付きを得られたりとかけがえのないチャンスを今まで頂いてきました。
また、家族に関しては多大な迷惑をかけてしまったこともあります。それでも自分の事を信頼し応援し支えてくれる、そんな存在は家族以外にはいません。
普段当たり前のようにいてくれるありがたさに気付くことが最も大事です。
クライアントから得られるもの
家族や友人の他にクライアントの意見もビジネスの基盤においてはかなり有力で成長につながります。
なぜなら家族や友人とは違い、クライアントは客観的な視点から物を言えるため、いわゆるフィルターがかからなくなり悪い点良い点を分け隔てなく見てくれるからです。
家族や友人は少なかれ自分の背景を理解しているため、甘い部分もあり、身内だけの意見を聞いていると成長が止まってしまうこともあります。
社会に出てお金を稼いで生きていく、成長すると言った点ではクライアントとのつながりも必要不可欠です。
ただし時々いらっしゃるのが、ビジネスや顧客を優先しすぎるあまり、家族や友人と言った大切な存在をないがしろにしてしまい、定年と共に熟年離婚を持ち出されたり、家庭内別居が続いたりと言った残念な結果を招いてしまう人です。
いくら人のためだ、仕事のためだといっても、身内を蔑ろにする人に説得力は皆無ですよね。
お客さんはいざ自分が困ったときに本当に手を差し伸べてくれますか?

結局は拘らないのが吉
あくまで筆者が思うプロとはどんな物かについて書いてみましたが、結局はいちいちそんな事に拘らないのが最適解です。
なぜなら一人ひとり背景が違い、人とのつながりなのか、お金なのか、技能なのか、重点は変わってくるので全員が納得する答えは得られないからです。
そもそも答えが決まっていたらプロ・アマ論なんて言葉自体生まれません。論じる必要が無いですから。
誰かにプロだと認められようが、アマだと罵られようがやりたいことを貫き通し、人生楽しめればそれが一番です。誰かにプロと認められても必ず食っていけるのか、家族を養っていけるのかと問われれば必ずしもYesとはいえませんよね。
何が大事で何を優先すべきかは自分で決めて行動する、必要なのはそれだけです。

まとめ
今回はプロ、アマについて書いていきました。
他人からあなたはプロだ、とかアマだ、といわれてもそれは結局言ってる人の主観に過ぎません。
そこで議論している時間が正直もったいないので、自分が信じた道を突き進み、極めていく事を最優先しましょう。
大事なのは評価よりも結果です。
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